文明の地下聖堂

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文明の地下聖堂内部
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文明の地下聖堂(ぶんめいのちかせいどう、英語:Crypt of Civilization)は、1937年から1940年にかけて、アメリカ合衆国アトランタ都市圏の、ジョージア州ブルックヘヴン(Brookhaven)のオーグルソープ大学(Oglethorpe University)で建築された、気密封印された地下室である。2,000立方フィート (57 m3)の空間には、無数の物品と文書が収蔵されており、紀元後8113年に開封される予定となっている。[1][2]ギネスブックは、その封印の50周年に、地下聖堂を「未来の地球の住人、あるいは来訪者のためにこの文明の記録を埋めようとする最初の成功した試み」("first successful attempt to bury a record of this culture for any future inhabitants or visitors to the planet Earth")として顕彰している。[3][4]

発端[編集]

「近代のタイムカプセルの父("the father of the modern time capsule")」と言われるソーンウェル・ジェーコブス(Thornwell Jacobs)(1877年 - 1956年)は、近代において、封印された貯蔵所に設けることによって、後世のために人工物を意識して保存するという考えを抱いた最初の人であると呼ばれている。[1][3][5][6][7]ジェーコブスの文明の地下聖堂というひらめきは、1920年代のエジプトの考古学的調査、ピラミッドや墳墓の開封に由来している。彼は、これらの古代文明から入手し得る歴史的情報の希少性に強い印象を受け、人類の黎明から1930年代の近代文化に至る人間生活の風習の「継続したストーリー("running story")」を想像した。[1][8]

エジプト暦に関する紀元前4241年(7月19日)は「最古の確定された日付」("earliest fixed date")であるという主張を、ジェーコブスは疑問視していたが、彼はエジプト暦の始まりである紀元前4241年にとその年(紀元後1936年)とのあいだで6177年が経過していたことを書き留めていた。この6177年という数字は、地下聖堂の開封予定日、すなわち1936年の6177年後である8113年を設定するにあたり役立てられた。

ジェーコブスの文明の地下聖堂は、アメリカ中の興味を引き、そして多くの模倣を生んだ。[1]1930年代半ばに、ウェスティングハウス・エレクトリックの広報の幹部 ジョージ・エドワード・ペンドレー(George Edward Pendray)は、1939年のニュー・ヨーク・ワールド・フェアでの販売促進イベントを担当した。ペンドレーは、アマチュアのロケット研究者でもあったことから、カプセルは「キューパロイ」("cupaloy")という金属合金で作られた、封印されたロケット形の容器の[1][2]「タイム・カプセル」("time capsule")を埋めることを提案した。ウェスティングハウスのタイム・カプセルは、長さ7フィート (2.1 m)の、パイレックスの内筒に物品を閉じ込めた、金属の外面の、ロケット形の筒である。[2]ペンドレーのプロジェクトは最初、「時限爆弾」("time bomb")と命名されたが、しかしその名前はのちに『タイム・カプセル』(time capsule)に変えられた。ペンドレーのタイム・カプセルは、61世紀に開けられる予定である。[1][2]

建築[編集]

文明の地下聖堂の室は、フィービー・ハースト・メモリアル・ホール(Phoebe Hearst Memorial Hall)の基礎に位置するアパラチアの花崗岩の岩盤の上に位置し、ホールは、オーグルソープ大学の、花崗岩のゴシック・スタイルのアカデミックなビルである。[1][2]室は、1937年から1940年まで水泳プールから転用され、そして壁は、ピッチに埋め込まれたエナメル板で裏打ちされた。[1][2]

室は、長さ20フィート (6.1 m)、高さ10フィート (3.0 m)、幅10フィート (3.0 m)である。室は、天井は厚さ7フィート (2.1 m)の石で、そして床は2フィート (0.61 m)の石である。[2]それは、しかるべき位置が溶接されたステンレス鋼のドアで封された。[1]

トーマス・キムウッド・ピーターズ(Thomas Kimmwood Peters)(1884年 - 1973年)が、建築を監督し、保管人をつとめた。[1]

余波[編集]

ワシントンD.C.国立標準局が、専門的・技術的な見地から、「遺物」と地下聖堂建築に助言をおこなった[2]。また、国立標準局はどのように遺物を貯蔵するべきかも勧告した[1][2]。多くの物品が、劣化を防ぐために、ガラスで裏打ちされ不活性ガスで満たされたステンレス鋼の容器で貯蔵されている。このアイデアはウェスティングハウス・エレクトリック社のタイム・カプセルにも採用された。「玄室」は、棚と床に物品が置かれたエジプトのピラミッドの小部屋に似ている[1]

内壁にはジョージ・カールソン英語版がつくったピクトグラムを描いた銘板が並んでいる。これは「コミュニケーションの歴史を語り、地下聖堂に埋葬された宝物をどのように利用するのか、その方法を説明する」ためのものである[9]

地下聖堂に収められた品々の多くは寄贈品である。なかには、スウェーデン国王グスタフ5世コダック社から寄贈されたものもある[2]。地下聖堂に収蔵すべきだと助言された「遺物」の中には、「ひと組のガーター」、「缶切り」、「きちんとオリーブの入ったドライマティーニ」までさまざまな物品が含まれている[10]

また、『聖書』、『コーラン』、ホメロスの『イリアス』、ダンテの『神曲・煉獄篇』など、800点を超す古典文学作品が、安全フィルムにプリントしたマイクロフィルムに収められ、気密容器に収蔵された[2]。これらの文書はおよそ64万ページにのぼる[8]。地下聖堂内にはこの文書群のバックアップの金属フィルムのシステムまで収められた[1][2]。映画プロデューサーデヴィッド・O・セルズニックが寄贈した『風と共に去りぬ』の脚本の原本も収められた[1]

アドルフ・ヒトラーヨシフ・スターリンベニート・ムッソリーニ、そしてフランクリン・ルーズベルトのような歴史的人物の肉声の記録も保管されている。音声記録のなかで変わったものとしては、アニメーション作品『ポパイ』や、馬追い声(Hog calling[注 1])コンテストのチャンピオンの実技、などもある[1]

ピータースは、これらの記録を閲覧できるよう、地下聖堂内に電気式のマイクロフィルム・リーダーとプロジェクターを何台か置いた。さらに、紀元8113年に電気が用いられなくなっている事態に備えて、手でマイクロフィルムの記録を読むための7倍の拡大鏡や、装置を駆動させるための風力発電機も提供した[1]。ピータースもまた、いくつかの科学機器を収めた[7]

ほかに、収蔵された珍しい物品としては、種子のサンプル、デンタルフロス、女性のハンドバッグ(purse)の中身、アーティ・ショウのレコード数点、電気式のトースターおしゃぶり、特別に封されたバドワイザー・ビールのびん1本、タイプライターラジオキャッシュレジスター、計算器、ミニチュアの丸太小屋ドナルドダックのプラスチック玩具、『ローン・レンジャー』、そして黒人の人形がある[1][2][7]

この「地下墳墓」に最後に収められた品の一つは、第二次世界大戦を報じる「アトランタ・ジャーナル」紙の鋼製の活版であった[1]。そして最後にジェーコブスによる、地下聖堂を将来も護ってゆく努力がなされることを願って、紀元後8113年に地下聖堂を開封するであろう人々にあてたメッセージが収められた。そのメッセージは「世界は、人類の文明を永久に葬り去ろうとしています。われわれはこの地下聖堂にあなたがたのために遺すのです。」("The world is engaged in burying our civilization forever, and here in this crypt we leave it to you")というものである[1][2]

宣伝[編集]

ジェーコブスは、1937年にニュー・ヨーク・シティーのNBCの全国ラジオで話し、地下聖堂を宣伝した。オーグルソープ大学での献堂式は、1938年5月に、RCAデイヴィッド・サーノフに導かれておこなわれた。ピータースは、地下聖堂に関する自分が作っていた映画『The Stream of Knowledge』(1938年)や、この地下聖堂の取り組みを伝えるパラマウントのニュース映画の小編をいくつかふくめた。[1]

1940年5月25日に、ジェーコブスとピータースが厳かな儀式で地下聖堂を密封し、儀式はアトランタのWSBラジオで放送された。[2][3]式に参列した有名人には、ドクター・エーモス・エッティンガー(Dr. Amos Ettinger)、ドクター M. D. コリンズ(Dr. M. D. Collins)、アトランタ市長ウィリアム・B・ハーツフィールド英語版アイヴァン・アレン・ジュニア英語版(のちのアトランタ市長)、クラーク・ハウエル英語版ジョージア州知事ユーリス・リヴァーズ英語版郵政長官ジェームズ・A・ファーレイ英語版がいる。[2]ドアは、溶接で閉じられ、そして『8113年の諸世代へのメッセージ』(Message to the Generations of 8113) という標識板がそれに溶かし付けられた。

『この地下聖堂には、20世紀前半に合衆国および世界全体に存在した文明の記録が入っている。不活性ガスを充填したステンレス鋼の容器には、百科事典、歴史書、科学書、新聞の特別版、紀行映画(travelogues)、旅行談(travel talks)、映画のリール、模型、蓄音板、そのほか、1900年から1950年まで存在した文明の状態や性質の考えをしっかり伝えられるようなものを収めた。宝石や貴金属はふくまれていない。』

『われわれは、西暦8113年に然るべき政府当局者やオーグルソープ大学の責任者が開封するときまで、この「金庫」が不断の保護を受けることを命ずる。それを担うのは、後世の合衆国政府・ジョージア州・ディカーブ郡 (ジョージア州)やその後継者・承継者・相続人の、法令やスポーツマン精神である。時が満ちるまで、われわれは、すべての人々に、このドアと中の地下聖堂の内容物が損なわれぬよう、切に願うものである。』[11]

ピータースは、開封される頃に英語が失われてしまっている場合に備えて、封された室の正面に「ランゲージ・インテグレーター」("Language Integrator")という機械もおいた。このアイデアはウェスティングハウス社のタイム・カプセルに受け継がれた。[1][8]

ジェーコブの、1937年4月の日記の書き込みには、「われわれの取り組みは、『タイム誌』から『リーダーズ・ダイジェスト誌』まで掲載され、ウォルター・ウィンチェル英語版のラジオ番組にも取り上げられ、ロンドンからオーストラリアまでの新聞に載った。」とある。[12]

密封後[編集]

封印の日以来、AP通信ABCNBCCNNナショナル・パブリック・ラジオ、『Atlanta Journal and Constitution』、『ニューヨーク・タイムズ』その他による、文明の地下聖堂に関する無数の回顧展があった。

1940年の地下聖堂の密封ののち、10年ごとに、報道機関は、地下聖堂を再訪問し続けた。

国際タイム・カプセル協会(International Time Capsule Society)が、文明の地下聖堂の50周年の1990年にオーグルソープ大学で創立された。[2]この組織は、世界中で作られたさまざまなタイム・カプセルを研究している。[1]

文明の地下聖堂は、1999年から2001年まで、ミレニアムの祝賀においてふたたび有名になった。それは、テレヴィジョンで特集され、そして無数の新聞で報道された。[1][2][3]

地下聖堂は、ヒストリーチャンネルの『Life After People|』のいちエピソードで特集された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 便宜上「馬追い声」としたが、Hog callingは「ウマ」ではなく「ブタ」を追い立てる際の声のこと。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w The New Georgia Encyclopedia — Crypt of Civilization”. 2008年6月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r History of the Crypt of Civilization”. 2015年10月22日閲覧。
  3. ^ a b c d The Crypt of Civilization at Oglethorpe University”. 2008年6月29日閲覧。
  4. ^ Guinness Book of World Records (1990)
  5. ^ Oglethorpe University president Thornwell Jacobs in an article of November 1936 Scientific American magazine.
  6. ^ Jarvis, p. 350
  7. ^ a b c Time Capsules in America Crypt of Civilization”. 2008年6月29日閲覧。
  8. ^ a b c We Were Here: A Short History of Time Capsules By Patricia Seibert, p. 16-24. https://books.google.com/books?id=1HbNQT3EWhcC&pg=PA16&lpg=PA16&dq=Crypt+of+Civilization+&ct=result#PPA18,M1 2008年6月29日閲覧。. 
  9. ^ Paul Tumey, "Figuring Out George Carlson". The Comics Journal, October 9, 2013. (Part 2 here.
  10. ^ Literary Digest, October 31, 1936, pp. 19–20
  11. ^ Damn Interesting article on "The Crypt of Civilization"”. 2008年6月29日閲覧。
  12. ^ Jacobs autobiography 1945, p. 512

参考文献[編集]

  • Jacobs, Thornwell (1945). Step Down Dr. Jacobs: The Autobiography of an Autocrat. Atlanta. 
  • Jacobs, Thornwell (November 1936). “Today—Tomorrow: Archeology in AD 8113”. Scientific American. 
  • Jarvis, William (1988). “Time Capsules”. Encyclopedia of Library and Information Science. New York. 
  • Peters, Thomas (1978). “item # 1712”. Who's Who in America With World Notables. Chicago. 
  • Peters, Thomas (February 1940). “The Preservation of History in the Crypt of Civilization”. Journal of the Society of Motion Picture Engineers: 209–10. 
  • Hudson, Paul (Spring 1991). “The 'Archaeological Duty' of Thornwell Jacobs: The Oglethorpe-Atlanta Crypt of Civilization Time Capsule”. Georgia Historical Quarterly 75. 
  • Thomas, David (1983). “Jacobs, Thornwell”. Dictionary of Georgia Biography. Athens. pp. 517–19. 
  • "The Crypt of Civilization" brochure, Oglethorpe University, Atlanta, Georgia, 30319 (available upon request).
  • The Book of Record of the Time Capsule of Cupaloy. New York. (1938). 
  • Guinness Book of World Records. New York. (1990). 
  • Scientific American: 260–266. (November 1936). 
  • Literary Digest: 19–20. (October 31, 1936). 
  • Atlanta Journal. (May 28, 1938, and May 26, 1940). 

外部リンク[編集]

座標: 北緯33度52分29秒 西経84度19分53秒 / 北緯33.87465度 西経84.33136度 / 33.87465; -84.33136